【平成を振り返る】宮城県の31大ニュース|良い出来事だけ編

平成の出来事(宮城県)

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宮城県の平成31年間を振り返り、良い出来事だけを年表にしました。

「ジャズフェスはいつから始まった?」「そういえば県民栄誉賞第1号はあの人だった!」などなど調べていて楽しかったです。

また、震災以降はスポーツが宮城を盛り上げてくれたと改めて実感しました。

この記事をきっかけに宮城の嬉しいニュースを思い出して頂けましたら幸いです。

平成元年~平成10年

平成1年

仙台市が市制100周年を迎え、11番目の政令指定都市としてスタートしました。この時の人口は89.6万人です。

仙台育英が宮城県勢で初めて夏の甲子園で準優勝しています。

平成2年

仙台空港にソウル便・グアム便が就航し、東北初の国際空港になりました。

仙台空港の歴史

1956年、GHQより「矢ノ目飛行場」が返還され、翌年に「仙台飛行場」として開港しました。
その後、航空会社が空路を拡大し1964年に「仙台空港」と改称しています。
参考:仙台空港の歴史 – 仙台空港

平成3年

冷害に強い品種「ひとめぼれ」が誕生しました。冷害に弱く作り難いといわれる「ササニシキ」に変わり、平成の胃袋を支えたお米です。

定禅寺ストリートジャズフェスティバルが現在のスタイルで初開催されました。

尚、この年「七ヶ宿ダム」が完成しております。

平成4年

地下鉄南北線が泉中央駅まで延伸しました。

南北線の開業は昭和62年、泉市が仙台市に編入したのが昭和63年です。

毛利衛さんがスペースシャトルで宇宙へ行ったのもこの年です。

平成5年(1993年)

伊達政宗が江戸時代初頭に建造したガレオン船「サン・ファン・バウティスタ号」が復元されました。

支倉常長らが太平洋を渡り、ローマ教皇パウルス5世に拝謁した船です。

残念ながら、現在は老朽化に伴い解体される予定です。

平成6年(1994年)

べガルタ仙台の前身「ブランメル仙台」が発足し、翌年JFLに昇格しています。

ちなみに、千葉直樹選手、リトバルスキー選手が入団したのは1996年です。

錦ケ丘センタープラザ(現・錦ケ丘ヒルサイドモール)がオープンしました。

平成7年(1995年)

仙台港にイベント会場「夢メッセみやぎ」がオープンしました。

展示会やコンサートなど様々なイベントが開催されています。(平成26年、新たに西館がオープンしました。)

公式サイト:夢メッセみやぎ

平成8年(1996年)

前述した「サン・ファン・バウティスタ号」を核とした「サン・ファン館」がオープンしました。

慶長使節の歴史や大航海時代の帆船文化を紹介する博物館です。

この年の流行語大賞はアトランタ五輪で銅メダルだった有森裕子選手の「自分で自分をほめたい」、アムラーやルーズソックスが流行っていたころです。

平成9年(1997年)

宮城県初の4年制県立大学として「宮城大学」が開学、看護学部と事業構想学部が設置されました。

尚、同大学は平成21年4月から法人化されています。

七北田公園内に仙台スタジアムが完成、ザ・モール仙台長町が開業したのもこの年です。

平成10年(1998年)

プロ野球選手「佐々木主浩投手」が県民栄誉賞第1号を受賞しました。

数々の日本記録を更新して優勝に貢献し、「ハマの大魔神」は流行語大賞に選ばれています。

ちなみに、妻の榎本加奈子さんはカレー屋をプロデュースしており、仙台にも出店しています。

公式サイト:kanakoのスープカレー屋さん

平成11年~平成20年

平成11年(1999年)

ブランメル仙台が「ベガルタ仙台」に改称し、Jリーグに加盟しました。

シーズンの途中で清水秀彦が監督に就任、初年度の最終成績は9位です。

この年、仙台市が人口が100万人を突破しています。

平成12年(2000年)

仙台トンネルが開通、仙石線が移設・開業して「あおば通駅」が誕生しました。

陸前原ノ町駅までが地下化され、14の踏切が廃止されています。

また、宮城スタジアムで東北初のサッカー日本代表国際Aマッチ「キリンカップ」開催されました。監督はフィリップ・トルシエ、中村俊輔が得点を挙げています。

平成13年(2001年)

みやぎ国体(第56回国民体育大会)が開催されました。

公式マスコットは「ケヤッキー」

この年、仙台東部道路と仙台南部道路が全線開通しています。

平成14年(2002年)

日韓ワールドカップの試合が宮城スタジアムで3試合行われました。

決勝トーナメント1回戦、日本vsトルコ戦(0-1)は記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。

歴史的1戦が利府町で開催されました。

平成15年(2003年)

東北地方で唯一の高度小児専門病院として「県立こども病院」が開設しました。

三陸自動車道(石巻河南IC~河北IC)が開通しています。

平成16年(2004年)

プロ野球新球団が宮城・仙台に設立決定。

東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生しました。

初代監督は田尾安志氏。岩隈久志選手、山﨑武司選手、一場靖弘選手などが入団しています。

平成17年(2005年)

日本プロバスケットボールリーグが発足、「仙台89ERS」が誕生しました。

初年度の成績は18勝22敗(4位)でプレーオフに進出しています。

歌津町と志津川町が合併し、「南三陸町」が誕生しました。

平成18年(2006年)

東北高校出身の荒川静香さんがトリノオリンピック女子フィギュアスケートで金メダルを獲得しました。

ご当地ナンバー制度が始まり、仙台ナンバーの車が誕生しています。

小牛田町と南郷町が合併し、美里町が発足しました。

平成19年(2007年)

仙台空港アクセス線開通しました。

杜せきのした駅と直結して、ダイヤモンドシティ・エアリ(現・イオンモール名取)がオープンしています。

平成21年~平成31年

平成20年(2008年)

仙台・宮城デスティネーションキャンペーンが開幕し、大型店やホテルの新規出店が相次ぎました。

仙台泉プレミアム・アウトレットや三井アウトレットパーク仙台港、仙台パルコ等が開業しています。

また、この年から光のページェント期間中にスケートリンク場が設置されました。

平成21年(2009年)

ベガルタ仙台がJ2初優勝し、ホーム23戦無敗など数々の記録を作りました。(翌年からJ1復帰)

楽天イーグルス岩隈投手が21勝を挙げ、投手三冠王を獲得。県民栄誉賞が授与されました。

平成22年(2010年)

東北楽天ゴールデンイーグルスに星野仙一監督が就任しました。

ベガルタ仙台の残留争いがもつれ込み、最終節で残留を決めています。この年、千葉直樹選手と平瀬智行選手が引退しました。

平成23年(2011年)

宮城県初のVリーグ女子バレーボールチーム「仙台ベルフィーユ」が発足しました。(現在は解散)

平成24年(2012年)

手倉森体制5年目、ベガルタ仙台が2位と躍進します。

女子サッカーチーム「ベガルタ仙台レディース」が発足しました。

平成25年(2013年)

東北楽天ゴールデンイーグルスが日本シリーズを制し、日本一に。

楽天野球団および田中将大選手に県民栄誉賞が授与されます。

平成24年はサッカー、平成25年は野球の年でした。

平成26年(2014年)

そして平成26年はフィギュアの年です。

ソチオリンピックフィギュアスケート男子シングルで羽生結弦選手が金メダルを獲得しました。

羽生結弦選手「金メダルおめでとう」パレードが開催され、県民栄誉賞を授与しています。

平成27年(2015年)

「仙台うみの杜水族館」がオープンしました。

夏の甲子園で準優勝した仙台育英学園高校硬式野球部に県特別表彰が授与されています。

「仙台市地下鉄東西線」が開業しました。

平成28年(2016年)

2016リオデジャネイロオリンピック・バドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得した髙橋礼華選手・松友美佐紀選手に県民栄誉賞が授与されました。

黒川郡富谷町が市制施行し、富谷市となりました。

「東北医科薬科大学医学部」が開設され、仙台駅前にPARCO2がオープンしています。

平成29年(2017年)

南三陸さんさん商店街がオープンしました。30軒弱のお店があり「南三陸キラキラ丼」などが有名です。

お米の新品種「だて正夢」の販売が開始されました。美味しいと評判で、令和を代表する宮城米になるかもしれません。

平成30年(2018年)

羽生結弦選手が平昌オリンピック金メダル獲得、66年ぶりの連覇を成し遂げました。

個人史上最年少で国民栄誉賞受賞、凱旋祝賀パレードには10万人以上が集まっております。

震災以降、多くのアスリートが宮城に勇気を与えてくれました。

平成31年(2019年)

新元号が「令和」に。

これからどんな良い出来事があるか楽しみです。

 

最後に平成だと思っていたら昭和だった出来事を2件。

仙台フォーラスの開業は昭和59年(1984年)でした。

また、「SENDAI光のページェント」の始まりは昭和61年(1986年)です。

 

令和元年も仙台南つうしんをよろしくお願い致します。