この記事には広告を含む場合があります。
申し込み等を行うことで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
仙台市青葉区の瑞鳳殿(ずいほうでん)と隣接する瑞鳳寺に行ってきました。
伊達政宗公の霊廟(お墓)で、鮮やかな桃山文化の建築物が目をひきます。
資料館や感仙殿、善応殿もあり、歴史の勉強にもなりました。
近隣の仙台城址や大崎八幡宮と合わせた観光がおすすめです。
▼関連記事
【永久保存版】仙台市のおすすめ観光地20選瑞鳳殿とは
瑞鳳殿エリアと感仙殿・善応殿エリア、公子公女廟、瑞鳳寺があります。
1945年、アメリカ軍の空襲により焼失しましたが1979年に再建されました。
- 料金:大人550円
- 開館時間:9:00~16:30(12月1月は16時閉館)
- 所要時間:約30分
- 休館日:12月31日
最新情報は公式サイトをご確認下さい。
駐車場から観覧券売場
無料駐車場があり、観光バスの「るーぷる仙台」も停まります。
駐車場から入口まで、緩やかな坂道と階段が続いてました。
▼道中、右手にラドン温泉旅館の天龍閣が
▼左手には瑞鳳寺
こちらは後で寄ることにしました。
石造りの階段は戦争による焼失を免れており、伊達家の禄高(62万石)を表したものと言われています。
杉並木は古いもので樹齢380年余だそうです。
受付に休憩所がありました。
入口~瑞鳳殿
夕方でしたが新緑が綺麗です。
▼龍の手水舎
すぐに涅槃門(ねはんもん)があります。
涅槃とは「煩悩を取り払った悟りの境地となる状態」という意味で、樹齢数百年の青森檜葉を用いて焼失前と同様の飾り彫刻が施されています。
階段のすぐ上が拝殿です。
▼唐門(からもん)
以前は天井に金箔が貼り付けられており、「金唐門」とも呼ばれていました。現在は鋼板製の近代的な門になっています。
▼瑞鳳殿
昭和54年に再建され、平成13年に改修されました。
政宗はホトトギスの初音を聞くためこちらに登り、同行した家臣に死後は当地に墓所を造るよう命じたと言われています。
普段は閉ざされており、政宗の命日(5月24日)等に御開帳されます。
中を覗くと正宗公の像があり、ちょっとびっくりしました。
▼青銅製龍頭彫刻瓦
焼失前の瑞鳳殿には8体の龍頭彫刻瓦がありました。焼け残った4体が松島と瑞鳳殿に保管されています。
▼殉死者供養塔
正宗の死に際し、家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名が殉死しました。供養するために瑞鳳殿の両脇に石塔が建てられています。
▼瑞鳳殿資料館
伊達政宗公の復元像や、兜・刀・ブローチなどの副葬品などが展示されていました。(館内は撮影禁止です)
感仙殿・善応殿エリア
少し戻って感仙殿エリアへ。柵で進めないと思っていたら横に自動ドアがありました。
▼道中の戊辰戦争弔魂碑(ぼしんせんそうちょうこんひ)
仙台藩士・仙台応援隊士を含む1260名、民間で犠牲となった方々の霊を弔うため明治10年(1877年)に建立されました。
樹齢300年の保存樹木コウヤマキの表示があったのですが、どの木か分からず・・・
広場中央の木でしょうか。
▼この門の先に感仙殿と善応殿があります。
▼感仙殿
二代藩主、伊達忠宗公の霊屋です。瑞鳳殿に続いて昭和60年に再建されました。
▼通路にある板碑
感仙殿から発見され、墓室を覆うのに利用されたものと考えられています。
▼向かって右手(北側)に妙雲界廟があります。
9代藩主周宗(ちかむね)、11代藩主斉義(なりよし)、その婦人の芝姫(あつひめ)らのお墓です。
▼善応殿
三代藩主、伊達綱宗公の霊屋です。こちらも感仙殿と共に再建されました。
▼無縫塔
綱宗が没した1711年は殉死禁令から48年が経過しており、14名の家臣が剃髪して喪に服しました。出家した熊谷直清が71歳に亡くなった際、こちらに埋葬されたそうです。
帰り道~御子様御廟
感仙殿・善応殿エリアから階段を降りると、そのまま駐車場に帰ることができます。
▼西南戦争弔魂碑
西南戦争は明治10年(1877年)に九州の士族が西郷隆盛を盟主にして起こした反乱です。仙台藩の士族も政府軍として参加しています。
▼御子様御廟への道
▼道中に散策路もありました
▼御子様御廟
歴代藩主や公子公女の墓域です。
瑞鳳寺
駐車場から瑞鳳殿の向かう途中にあるお寺です。
2代藩主忠宗により瑞鳳殿と共に建設されました。
▼大きな鐘楼と梵鐘が
重さ1550kgだそうです。
参拝して帰途に着きました。
まとめ
- 伊達政宗らのお墓
- 建築物が美しい
- 歴史が学べる
伊達政宗や歴史に興味のある方には必見の観光地です。
仙台城址や大崎八幡宮などと合わせて行ってみて下さい。
▼仙台市内のおすすめ観光地はこちら
【永久保存版】仙台市のおすすめ観光地20選