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仙台で生まれ育ったので「さくら野」にはたくさんの思い出があります。
小学校時代の入学式の服や、大人になってからは子供のベビーグッズでお世話に。
買い物ついでに食べていたジェラートも忘れられません。
さくら野の歴史や思い出を振り返ってみました。
さくら野最新情報
ドン・キホーテなどの運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングスが再開発に乗り出すとの報道がありました。
オフィスビルとホテルのツインタワー、下層部を商業施設にする構想です。
参考 仙台の閉店百貨店、ドンキのパンパシHDが再開発へ日本経済新聞
仙台駅西口の青葉通りは車両を通行止めにして広場化する計画が立てられています。
参考 仙台駅西口の青葉通を広場化 市が検討、車両通行止め緑地に河北新報
▼2020年6月の様子
さくら野百貨店のルーツ
1946年(昭和21年)、仙台空襲の焼け跡に建てられた平屋バラック内に雑貨店「MARUMITU DEPT.STORE 」として営業したのが始まりでした。
1965年(昭和40年)には売り場面積、売上高共に老舗百貨店の三越、藤崎と肩を並べて競い合う仙台の主要な百貨店に。
その後、業務提携や経営統合等により店名の変更を繰り返していきながら2017年2月、70年の歴史に幕を閉じました。
- 1953年(昭和28年)鉄筋コンクリート地下1階、地上3階建ての百貨店「丸光」として営業開始。
- 1985年(昭和60年)店名を「ダックシティ丸光」に変更。
- 1991年(平成3年)店名を「仙台VIVRE」に変更。
- 2002年店名を「さくら野百貨店」に変更。
丸光の思い出
幼少期にうっすら記憶に残っているのは、丸光のバラの包装紙。
山形に住む祖母が遊びに来たときにオモチャを買ってもらいました。
ペデストリアンデッキから丸光へ入る瞬間はいつもと違う特別な気分で、今でもはっきりと覚えています。
仙台ビブレの思い出
丸光がVIVREになり、小学生ながらに「なんかオシャレ!」と感じていました。
ビブレの思い出と言えば1階のイタリンジェラート屋さん。
母の買い物に付いていき、帰りにジェラートを食べるのがとても楽しみでした。
中でも一番のお気に入りはイタリアンチョコチップ。今でも忘れられない思い出の味です。
さくら野の思い出
いつしかVIVREからさくら野に変わり、1階のファッション雑貨をよく利用していました。
結婚してからは豊富なマタニティ服とベビー服売り場がとても重宝。
さくら野ポイントカードを持っていると割引優待券のハガキが届くので、それを使って出産準備の半分以上はさくら野で買ったと思います。
宗さんが歌うさくら野イメージソング「さくら咲く街で」も懐かしいです。
さくら野仙台店 破産・閉店の衝撃
二人目の出産で街から足が遠退いているうちに、突然の破産・閉店。
とてもショックでした。
幼い頃から身近に利用していて、節目でいつも活躍してくれた駅前デパート。
今は亡くなってしまった祖母との思い出も、母と姉とのショッピングも、長男がお腹にいるときに見たベビー服売り場も、
思い出の一部が剥ぎ取られてしまったような、そんな感覚になりました。
今でも廃墟化しているさくら野前を通ると悲しさと寂しさが込み上げてきます。
さくら野の今後
2017年2月破産当時、さくら野仙台店は8つのビルから構成され、6オーナーが所有していました。
ビルと土地全体の8割を所有するオーナー「さくら野DEPT仙台合同会社」がいる一方、中央部分は別のオーナーが所有していたため、東西に分断された状態だったそうです。
しかし2019年3月時点で、かつて仙台店の運営会社「エマルシェ」の経営権を握っていた投資ファンド「東北リテール」が中央部分を買い取ったとのこと。
東北リテールとさくら野DEPTは事実上一体化した関係にあるそうで、この取引で東西の土地はつながり再開発が進むのではと言われています。
参考 <さくら野仙台跡地>運営会社元オーナー、跡地中央部の不動産取得 一体的な再開発狙いか河北新報まとめ
- 戦後から70年続く駅前デパートだった
- かつては三越、藤崎と競い合う仙台の三大百貨店
- 2017年2月に破産
- 現在は再開発に向けて動き出しているよう
仙台駅前の一等地がいつまでも廃墟となっていると寂しい気持ちになります。
今後は青葉通りの一部広場化検討に伴い、GSビル跡地も動きがあるでしょうか。
ヨドバシカメラのリンクス仙台や藤崎移転の噂もあり、しばらく仙台から目が離せません。